衝撃人物

鈴木琢也の経歴まとめ!偏差値30高校からバークレーに⁉に現在の職業は?

 

逆転劇というものを見ると人は興奮すると思いますが、実際そんなことはなかなかないですよね?

今回は数少ない超逆転劇を演出した鈴木琢也さんについてまとめました。

鈴木琢也さんは偏差値30の高校からアメリカの超名門大学に進学というスーパーアップセットを成し遂げたのです。

一体どんな人なのでしょうか?

 

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Contents

鈴木琢也の経歴①~偏差値30の高校に進学~

鈴木琢也のプロフィール

 

名前:鈴木琢也

生年月日:1986年4月3日

出身地:神奈川県川崎市

 

鈴木琢也さんは保険の営業マンをしている父親と、母と姉の4人家族に生まれました。

どうやら琢也さんの父親は外資系の保険会社に勤めており、その父親への反抗心から中学でグレてしまい、不良道を突き進むことになります。

その結果、高校は勉強しなくても入れる偏差値30の高校に進学しました。

 

 

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鈴木琢也が進学した偏差値30の高校とは?

 

鈴木琢也さんが進学した高校は、神奈川県立柿生高校(かきおこうこう)ではないか?と言われています。

理由としては、当時神奈川県で偏差値30の高校が柿生高校と柿生西高校の2つしかなかったからです。

 

現在は上記2つの高校が統合されて麻生総合高校に生まれ変わっています。

 

名前を変えて印象を消したいぐらい悪い高校だったんでしょう。

 

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鈴木琢也の経歴②~名門大学進学を志した理由~

父親の本当の姿を見て一念発起

 

鈴木琢也さんは高校卒業後、就職しとび職として働くことになります。

そんな時に、大嫌いな父親が仕事で表彰されることになり、琢也さん家族はハワイで行われる表彰式に出席しました。

そこで、自分の父親が周囲から尊敬される人物であったこと。そして父親と母親の努力してきた跡を目の当たりにしたのです。

 

このことがきっかけになり、鈴木琢也さんは

父親のような営業マンになりたい!!

と一念発起。勉強しなおすことを決意します。

 

その後小学生で習う漢字と四則計算から勉強しなおし、20歳で専門学校に入学し、情報処理の国家資格を取得します。

そして、22歳でIT系の上場企業に営業として入社したのです!!

 

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アメリカ留学”てっぺん”を目指そう

 

IT系の上場企業に就職後、世間ではリーマンショックで大変な事態が起こっていました。

そんな状況の中でも優秀な人物はどこにでもいるようで、琢也さんにはできない大きな案件を次々に成功させていきます。

自分とその人たちで何が違うのか?琢也さんが考えた結果。

「学ぶ力」だと気づきました。

 

琢也さんはさらなる学びなおしを決意し、どうせなら”てっぺん”を目指そうと決意します。

ただ、日本の大学だと準備だけで数年が過ぎてしまいます。

 

琢也さんは「29歳までに大学卒業」と目標を決めていたので、アメリカ留学を決意しました。

 

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鈴木琢也の経歴③~アメリカ留学バークレー合格~

鈴木琢也がバークレーを選んだ理由は?

 

鈴木琢也さんがアメリカ留学を決意した理由は、ただの無茶ではありません。

さまざまな理由からそれが一番効率的だと考えたのです。

1:アメリカには学力だけでなく人柄や過去の経歴などその人の総合的な力を評価する入試制度がある。

 

2:カリフォルニア州では2年制の短期大学で必要な成績を取得すれば、4年制大学に3年次から編入できる制度がある。

 

「29歳までに大学卒業」を目標に決めた鈴木琢也さんはカリフォルニア大学バークレー校への進学を決意したのです。

 

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鈴木琢也がバークレーに合格するまで

 

23歳の時、鈴木琢也さんはIT企業を退職し、アメリカに留学して現地の語学学校で勉強を始めます。

ちなみに留学1週間前に”something”の意味がわからなかったみたいです。

 

そして同年カリフォルニアの短期大学(2年制)にも入学しました。

 

そして26歳の時に見事カリフォルニア大学バークレー校に編入合格を果たしました。

 

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鈴木琢也の現在は?

 

鈴木琢也さんは現在、日本最大のビジネススクール「グロービス経営大学院」で働いています。

自分が教わる立場から、教える立場になったのです。

 

自身の体験談から生徒に伝えたいこととして

僕は大人になってから本格的に勉強を始めましたが、日本ではストレートに中学、高校、大学へ進学することを良しとする風潮があります。でもほとんどの人は、社会人になってから本当に自分がやりたいことって何だろうと気づくものです。僕は今後、いくつになってもやりたいことを始められる、変われる環境を作っていきたいと考えています。

出典:ADECCO GROUPインタビュー