6月24日の「奇跡体験アンビリバボー」
今回は、本州と四国を結ぶ橋である「瀬戸大橋」建造の立役者である人物にスポットが当てられます。
その人物の名は杉田秀夫(すぎたひでお)さん。
一土木工事事務所の所長でありながら、銅像が建てられるほどの人物です。
一体どんな人だったのでしょうか?
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杉田秀夫のwiki経歴は?
名前:杉田秀夫
初代本州四国連絡橋公団坂出工事事務所長
本州と四国の6つの島をつなげる瀬戸大橋で、指揮をとったリーダーです。
もともと、船で往来をしていた本州と四国ですが、
船だと天候に左右されるため、橋を架けるのは長年の悲願でした。
しかし、海の中に橋台を作る基礎工事は、
海底が泥でまみれており、爆発物を使用して穴をあける必要がありました。
そうなると、漁業にも影響が出る可能性があり、
工事だけでなく、地元民との交渉も難航しました。
そんな大工事を杉田秀夫さんは、リーダーとして率先してことにあたりました。
最終的に、地元民との交渉は500回に及び、罵声を浴びながらなんとか工事を成功に導いたのです。
杉田秀夫の娘は何人いる?現在は?
瀬戸大橋の工事を成功に導いた杉田秀夫さん。
杉田秀夫さんには、娘が3人いました。
杉田秀夫さんには、13歳年下の奥さんがいたのですが、
瀬戸大橋の工事中に末期の胃がんと判断されました。
そのことを誰にも告げず、妻の死後も工事に真摯に取り組み続けました。
杉田秀夫さんは、瀬戸大橋の工事完了後は
娘の育児を中心とする生活に切替、出世や再婚は全て断っています。
現在は、どこかで結婚したりしているのでしょうか?
杉田秀夫の死因は?
杉田秀夫さんは、62歳で亡くなられています。
早くに亡くなっているので病気かと思いましたが、
はっきりとしたことはわかりませんでした。
杉田秀夫さんは、激務の工事に耐え抜いたり
睡眠時間4時間で仕事と育児に耐え抜いたりと、
体を酷使してきたと思うので、仕方ないことかもしれません。