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八村塁と坂本コーチ(中学)のエピソードとは?バスケはどうして始めたの?

 

6月21日のNBAドラフト会議で

アメリカゴンガガ大の八村塁選手が

ドラフト1巡目で指名されました。

 

NBAドラフトは、各チーム2名しか

指名することができず、その1巡目に

入るのは、名誉と考えられています。

 

今回の指名にあたり、八村塁選手の母校

にも取材が来ています。

 

この記事では、八村塁選手と坂本コーチ

について、バスケをどうして始めたのか?

をまとめました。

 

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八村塁選手はいつからバスケを始めたの?

 

 

八村塁選手は、中学からバスケを

始めました。

 

小学校時代は、短距離走と野球をやっており

その身体能力は、地元で知れ渡っていたようです。

 

この当時は、野球を中心にやっていたみたいですが

5年生のときには、短距離で全国大会に行くなど

その身体能力はずば抜けていました。

 

八村塁選手は、ベナン人の父親と

日本人の母親のハーフです。

 

八村塁選手の弟もバスケをやっており

優秀なので、アスリートの血筋なのでしょう。

 

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八村塁選手と坂本コーチの出会い

 

 

小学校から圧倒的な身体能力を見せていた

八村塁選手なので、別のスポーツへの

勧誘もありました。

 

その一つが、バスケです。

 

富山市立奥田中学校の坂本コーチ

八村塁選手を生徒づてに勧誘しましたが

上手くいきませんでした。

 

しかし、八村塁選手が野球部にも陸上部にも

入っていなかったので、生徒にお金を渡し

八村塁選手にアイスをおごる代わりに、

体育館に来させました。

 

坂本コーチの、この時の説得(?)により

八村塁選手は、バスケを始めました。

 

 

こんな無理やりな勧誘で、八村塁選手は

どう思っているのだろう?と心配したのですが

今回のドラフト会議後に、坂本コーチに電話

しており、両者の仲は良好のようです。

 

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八村塁選手が野球を選ばなかった理由

 

どうして、八村塁選手は野球を

辞めたのかを調べてみました。

 

八村塁選手は小学校時代に

野球部で捕手で4番でした。

 

ピッチャーもやったことがあるようですが

八村塁選手の球を誰も捕ることが出来ないため

キャッチャーをしていました。

 

野球は5年間続けていましたが

小学6年生のときに、股関節の成長痛に見舞われ

半年間プレーできませんでした。

 

中学に入ったときは、成長痛は

無くなっていましたが、これをきっかけに

野球部に入ることを躊躇していたようです。

 

八村塁選手は、成長痛がなければ

そのまま野球をしていたでしょう。

 

もし、野球をしていたら、別の日本初を

達成していたのかもしれませんね。

 

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坂本コーチの八村塁選手への指導①

 

八村塁選手は、バスケを始めた当初

確かに身体能力はずば抜けていましたが

野球よりも大きいバスケットボールの扱いに

手こずっていました。

 

そんな八村塁選手に近藤コーチ

「NBAに行けよ」と言い続け、

 

八村塁選手が片手でボールを掴むと

「塁はマイケル・ジョーダンのようにボールを片手でつかめるな」とほめて

 

八村塁選手のクラスメイトから

八村塁選手にNBAの映像や雑誌を見せることで

バスケにハマるように仕向けました。

 

 

その期待に応え、八村塁選手は

中学2年生で、U‐14の合宿に参加し

中学3年で全国大会3位に進みました。

 

また、八村塁選手には、身体能力だけでなく

才能もありました。

 

映像で見たプレーを再現することが出来

ラリー・ジョンソンのゴール下での足の運びや、

デニス・ロッドマンのリバウンドでの腕の使い方など

 

をコピーしていたようです。

 

 

また、坂本コーチ八村塁選手に

対し、「NBA」を意識した指導だけでなく

現実的な「NBA」への道筋を示していました。

 

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坂本コーチから八村塁選手への指導②

 

坂本コーチ八村塁選手は

中学を卒業するにあたり、

 

「卒業後に米国の4年制大学に行ける高校」を進学先選びの条件にしました。

 

おそらく、これは坂本コーチ

八村塁選手に、本気でNBAを目指すため

アドバイスしたのでしょう。

 

この条件に対し、八村塁選手の母校である

明成(宮城)のみが、真剣に回答したため

 

八村塁選手は明成に進学し、明成から

ゴンガガ大に進学しました。

 

こうしてみると、八村塁選手はNBAに

たまたま行ったのではなく、行くべくして

行ったことがわかります。

 

 

坂本コーチは、八村塁選手が奥田中学を

卒業する際、修了書に記して

 

「“そんなことでNBA選手になれるか”そう言って夢のようなことを言っていたけれど、一歩一歩夢に近づいてきましたね」

 

 

また、ドラフト1巡目でウィザーズに指名

された後のインタビューでは

 

「すごい。『NBAに行け』『僕の夢でもある』と言ってきたが、彼の成長が僕の夢だった」

 

と少し涙ぐんで話していました。

 

八村塁選手が本気でNBAに行けると

信じていたことが伝わってきます。

 

八村塁選手は、成功するために、一番

手に入れるのが難しい運を持ち合わせていたのでしょう。

 

自分のことを本気で信じてくれる人が

一人でもいる。というのは、一番必要な得難い

才能ではないでしょうか?

 

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八村塁と坂本コーチ(中学)のエピソードのまとめ

 

八村塁選手と、彼の中学時代の

恩師である坂本コーチについてまとめました。

 

1:小学時代は野球と陸上をしていたが

成長痛をきっかけに、離れた。

 

2:バスケを始めたきっかけは坂本コーチ

勧誘。

 

3:坂本コーチ八村塁選手

「NBA」という目標を与え、咤激励し

間接的にNBAに導いた。

 

八村塁選手はNBAドラフト後、

坂本コーチに電話で、

「コーチがあったから今の僕がある」

 

と伝え、

 

ドラフトで、自分のルーツである

日本とベナンをかたどった裏地のジャケットを

着るなど、コート外でも模範となる

姿勢を見せています。

 

今後が楽しみですね。