1月24日の「金スマ」では歌手の長渕剛さんが登場し、自身の母親との話をしてくれるようです。
長渕剛さんの母親父親とは、どんな人だったのでしょうか?
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長渕剛とは?
名前:長渕剛(ながぶちごう)
生年月日:1956年9月7日(63歳)
出身地:日本 鹿児島県鹿児島市
長渕剛さんは、鹿児島県鹿児島市にうまれた歌手であり、代表曲に「とんぼ」や「乾杯」といったものがあります。
長渕剛さんの兄妹は、姉が一人いますが、実は小さいころにお兄さんが乳児のころに亡くなってしまったようです。
長渕剛さんも、小さい頃は病弱だったようです。
長渕剛の父親はどんな人?
長渕剛さんの父親は、警察官をしていました。
父親の長渕邦治さんは、種子島出身で柔道5段であり、身体も大きかったようです。
そのガタイを活かして、暴力団を相手取る課に配属され、ヤクザ相手にも一歩も引かずに渡り合っていたようです。
長渕剛さんの父親は中卒だったため、警察に入っても出世が遅く、学歴で苦労しました。
警察では上司から、ノルマを要求されても
ノルマをこなすために、警察になったわけではない
と断っており、生活苦の犯人を見逃していたりしたため、なかなか出世しなかったようです。
長渕剛さんは、あまり父親との思い出はないようです。
ただ、夏休みになるとバイクに乗せてもらい、海に連れていってもらったことが楽しかったと語っています。
長渕剛の母親はどんな人?
長渕剛さんの母親の長渕マス子さんは、長渕剛さんのことを溺愛しており、小学生のころは習字と絵を習わせられていたようです。
長渕剛さんが、サボったときは、手に焼きを入れられたと、長渕剛さん本人が語っています。
長渕剛さんは、母親に「噓をつかず、自分に正直に生きることを」を学んだと話しています。
長渕剛が貧乏だったのは本当?
長渕剛さんの父親は警察官だったため、貧乏だったと言われてもピンとこない感じもありますが、当時の警察官は給料も少なく苦労したようです。
長渕剛さんの母親は家計簿をつけており、家計が苦しいときは、長渕剛さんが寝ている夜中に、二人が取っ組み合いのけんかをしていたのを、布団の中で聞いていたようです。
長渕剛さんの母親は、お金で困っており、父親を非難して殴られて、家の裏路地で泣き崩れていたみたいです。
また、長渕剛さんが赤ちゃんのころは、母親から母乳が出ず、けれどもミルクを買うお金がなかったため、米のとぎ汁を飲んで育ったようです。
長渕剛の歌の原点は母親?
長渕剛さんは、中学生のころからギターに触り始め、大学生になったあたりでステージ活動を本格化させました。
当時は、身体がやせ細っており、同級生や先輩から馬鹿にされていました。
そんな時にギターを弾いて、自分の心の内を叫ぶようになりました。
しかし、もともと歌に親しんだのは、母親の影響だったと自身の口から語っています。
長渕剛さんの母親と父親が、ケンカした次の日には、母親に散歩に連れられて、母親が童謡のような歌を歌っていました。
それが、今の「とんぼ」や「乾杯」のような普遍的なメロディーの歌に繋がったようです。
長渕剛の母親との最期
長渕剛さんの母親は、56歳で認知症にかかってしまいました。
長渕剛さんは看病をしましたが、当時は長渕剛さんの絶頂期で全国公演もバンバンやっていたので、一時期は身長172cmに対して、体重が40kgになるほど追い詰められてきました。
当時は「死んでしまいたい」と言ってしまうほどだったようです。
そのため、病院に母親を預けるようになりましたが、自分で看病をしないことに後ろめたさがあり、精神的にバランスを崩して、神仏に傾倒するようになりました。
そして、長渕剛さんの母親は、長渕剛さんのことを忘れてしまいました。
その後、長渕剛さんが海外にいるときに、体調を崩し、帰国して長渕剛さんに会ってすぐ、72歳でお亡くなりになりました。