7月30日の「奇跡体験アンビリバボー」ではカナダの5つ子ディオンヌ姉妹の物語が放送されます。
5つ子ということで、かなり珍しい存在だと思いますが、大人は”珍しい”だけでおわらせなかったようです。
自ら「サーカスの中心で育った」と語ったディオンヌ姉妹の物語とは?
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カナダの5つ子ディオンヌ姉妹とは?:アンビリバボー
出典:wikipedia
1934年5月28日に五つ子姉妹のイヴォンヌ、アネット、セシル、エミリー、マリーがカナダで生まれました。
5人が生まれたのは、貧乏な農家でした。
生まれた当初病弱で、片手で持てるほどの小ささだった姉妹たちは5つ子ということもあり非常に注目を浴びました。
カナダの5つ子ディオンヌ姉妹「州」の物に:アンビリバボー
5人の父親は、生まれたことを喜びながらも自分たちの家が5人も子供を育てることはできないと判断していました。
そのため、人からの説得を受けてシカゴ万博へ出展する契約を結びます。
一応父親の肩を持っておくと、当時は赤ちゃんが展示されることは普通でした。
しかし、これに待ったをかけたのが、5つ子が生まれたオンタリオ州。
「ディオンヌ家の五つ子後見法」を設立し、両親から親権をはく奪します。
そして、彼女たちの誕生を手助けした医者が代わりに育てることになりました。
法律ができるまでに”一年”というのは、一個人の赤ちゃんを救うにしては早すぎると思いませんか?
カナダの5つ子ディオンヌ姉妹”サーカスの中心”へ:アンビリバボー
医師のもとで育つことになったディオンヌ姉妹ですが、残念ながら静かに暮らすことはできませんでした。
彼女たちの生活は公開され、人々から見物料をとりました。
彼女たちは、個人を識別するためにちがう色のリボンをつけて、タイムテーブルを区切って生活していました。
ディオンヌ姉妹が生まれた当初、カナダは世界恐慌のまっただなか。
オンタリオ州はディオンヌ姉妹を世界恐慌から復活するシンボル、そして経済をまわす金のなる木と考えたのでしょう。
彼女たちが暮らす地域は「クイントランド」と名付けられました。
カナダの5つ子ディオンヌ姉妹のその後:アンビリバボー
ディオンヌ姉妹は、第二次大戦が終了するとシンボルとしての機能が終了し、人々の関心もなくなりました。
その後、姉妹は両親の下へ戻りましたが、父親からは性的虐待を受けるなど、幸せとはいいがたかったようです。
姉妹は18歳になると、家を出て家族との交流は途絶えました。
両親とは家族になれなかったみたいです。
カナダの5つ子ディオンヌ姉妹の現在:アンビリバボー
出典:wikipedia
やっと独立できたディオンヌ姉妹ですが、幼少期のトラウマはなかなか消えなかったようです。
20歳のときに「てんかん」で一人。
36歳の時にうつ病とアルコール依存症で苦しんだ末、血栓症で一人。
5人のうち2人が40手前で亡くなってしまいます。
そして、2001年にがんで一人亡くなってしまいました。
ただし、残りの2人については現在も86歳で生きているようです。
ディオンヌ姉妹は1998年にオンタリオ州政府を訴え、400万ドル(4億3000万)で和解しています。
ただ、当時オンタリオ州政府たちは、5億ドル(500億)儲けていたというので…