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中川浩(科学の教室)の改革とは?学研のおばちゃんはどうなった?廃刊理由は?

※追記 4月25日

 

4月25日の「奇跡体験アンビリバボー」

で雑誌「科学の教室」を300万部を超える

大ヒットに導いた中川浩さんが

特集されます。

 

中川浩さんについて調べたとところ、

ヒットに導くまでに、様々な改革を

起こしてきたようです。

 

この記事では、中川浩さんが起こした

改革。そして「科学と教室」が休刊に

なった理由について調べてみました。

 

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中川浩が起こした改革とは

 

中川浩とは

 

中川浩さんは、「科学の教室」

担当するまでは、同じ学研の

「三年の学習」「四年の学習」の

編集長をしていました。

 

当時、「科学の教室」は全く売れておらず

中川浩さんも、不承不承「科学の教室」

編集長に就きました。

 

普段は温厚ですが、仕事になると

非常に厳しく、編集者として手を抜かない人でした。

 

「科学の教室」でも中川浩さんと編集者は

毎日のようにケンカしていました。

 

仕事に真面目に取り組む人

だったので、「科学の教室」を人気雑誌に

するために編集長に抜擢されたのでしょう。

 

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中川浩が起こした改革①:3誌体制から6誌体制に

 

出典:「学研の科学」50年史

 

「科学の教室」中川浩さんが担当する

までは、初級、中級、上級と3誌に分かれて

いました。

 

しかし、中川浩さんはこれでは、

子供たちの好奇心に応えることができないと考え、

1学年から6学年までの6誌体制に変更しました。

 

 

雑誌としては、売れていないにも

関わらず、種類を増やすのでピンチになりますが

子供たちのことを第一に考えたのです。

 

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中川浩が起こした改革②:雑誌に付録をつけた

今となっては当たり前ですが

当時、雑誌に付録をつけることは

世界初の試みでした。

 

しかし、中川浩さんは、自身の過去から

子供たちに科学の喜びや奥深さを伝えるには

実験や、自然観察が必要だと思い立ち、実験道具

として付録を付けることを思い立ったのです。

 

当時は、今と違い戦後の学校では実験を

行っていなかったので、余計に科学に親しんで

もらいたいと考えたのかもしれません。

 

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中川浩が起こした改革③:運搬方法を変えた

 

 

当時は雑誌の運搬は鉄道で行っていました。

国鉄(今のJR)から特別割引運賃の指定を受ける

ことで、通常の鉄道輸送よりも安く

運搬できたのです。

 

しかし、特別割引運賃の指定は、

紙を主としたものに限られていました。

そのため、付録を付ける場合は

特別割引運賃の指定を受けられなかったのです。

 

 

そこで、「科学の教室」では

一般の鉄道輸送とトラック運搬を

つなげたシステムをとりました。

 

当時は、トラック運搬はまだ始まった

ばかりで規制も厳しかったのですが

今後は、運搬はトラックが中心になると

予想したのです。

 

現在の宅配便の走りと言って

いいかもしれませんね。

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※追記 会社内の説得

 

中川浩さんは、出来る限りの

体制を整えましたが、付録付きという

初めてのことだったため、

会社内では、本当にできるのか?

という声が大きく。

 

常務からは、明日までに6学年×12×3年分

の216種類の企画書を出せと無茶ぶりを

受けます。

 

残念ながら、3年分の企画書は作れませんでしたが

2年分、144種類の企画書を一晩で作り上げ

会社内の説得に成功しました。

 

 

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