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中筋憲一の経歴やフリクションボールに特許訴訟が起きた理由は?

 

シアターくん
シアターくん
マスターは消せるボールペンのことを知っていますカ?
管理人
管理人
知ってるよ。”フリクションボール”のことだよね?
新社会人がフリクションボールで重要な書類を作ったとか、話題になってなかった?
シアターくん
シアターくん
それは聞いたことがないですが…
では、フリクションボールの文字を消す秘密を知っていますか?
管理人
管理人
普通に文字を消すだけでしょう?何も秘密なんてないよ
シアターくん
シアターくん
それがあるんですよ

 

9月30日の「逆転人生」では、消せるボールペンこと、フリクションボールを発明した中筋憲一さんについて、紹介されます。

そこで、この記事では中筋憲一さんが、フリクションボールを発明する経歴と、フリクションボールを巡って訴訟が起きていたことを調べてみました。

 

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中筋憲一の経歴とは?

 

名前:中筋憲一

生年月日:1943年6月21日

年齢:76歳(2019年現在)

 

1966年に岐阜大学工業化学科を卒業して、パイロットインキに入社。

その後、1996年にはパイロットインキの取締役に、2002年には代表取締役社長に、2011年には取締役会長に昇進し、2016年に退職、現在は講演活動などを行っています。

 

管理人
管理人
この中筋憲一さんという人が、フリクションボールを発明したの?
シアターくん
シアターくん
そうです。
管理人
管理人
元会長で、大ヒット商品を開発だなんて、鼻持ちならないエリートじゃない
シアターくん
シアターくん
そう思うじゃないですか、でも中筋憲一さんの経歴を詳しくみていくと、そんなに順風満帆でもないんですよ
管理人
管理人
本当かな~

 

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止むをえず始めた研究だった:中筋憲一がフリクションボールを発明するまで①

 

中筋憲一さんは、もともと”ノンカーボン”という帳票や伝票に使われている紙の開発を担当していました。

しかし、紙を作るとなると、製紙会社が圧倒的に有利であったため、中筋憲一さんは開発に敗れてしまいます。

そのため、当時27歳の中筋憲一さんは開発テーマを失ってしまったのです。

開発しない、開発員は必要ないので、別のテーマを探そうと中筋憲一さんは悪戦苦闘します。

その時、中筋憲一さんは”誰も研究したことのないものを研究しよう”と思い立ち、当時の筆記具の常識である、”どんな環境でもインクの色が変化しない”の逆をいく、「色が変化するインク」の研究を始めたのです。

 

管理人
管理人
フリクションボールの開発にここから繋がっていくんだね。
シアターくん
シアターくん
そうです。
ちなみに、中筋憲一さんが参考にした色が変わるものは、当時赴任していた愛知県の香嵐渓の紅葉でした。
管理人
管理人
香嵐渓の紅葉のように、色が変わるインクを目指したってこと?
シアターくん
シアターくん
その通りでス。

 

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発明はしたけれど:中筋憲一がフリクションボールを発明するまで②

 

管理人
管理人
”色が変わるインク”と、”フリクションボール”はどう繋がるの?
シアターくん
シアターくん
その話を今からしましょう。

 

中筋憲一さんは、苦戦しましたが、何とか色が変わるインク「メタモカラー」を発明しました。

「メタモカラー」の特徴としては、温度で色が変化することです。

なおかつ、温度の設定と色の変化を指定することができました。

 

管理人
管理人
このメタモカラーを使って、フリクションボールが出来たんだよね?
じゃあ、この話はもう終わりだね?
シアターくん
シアターくん
いえ、むしろここからが本題なんです。
管理人
管理人
どういうこと?
シアターくん
シアターくん
この「メタモカラー」ですが、発明はしましたが、何も使い道がなかったのです!!
管理人
管理人
えっ!!

 

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使い道がない!!:中筋憲一がフリクションボールを発明するまで③

 

シアターくん
シアターくん
当時の筆記具は色が変わらないものが、是とされてきたので、文房具に使うという発想がありませんでした。
管理人
管理人
じゃあ何に使われたの?
シアターくん
シアターくん
文房具以外の用途、
ロスオリンピックの球場チケットや南米ボリビアの紙幣、アメリカの人形に使われていました。

出典:ヤフオク(ロスオリンピックチケット)

(マテル社:バービー人形)

 

管理人
管理人
そこから、どうやってフリクションボールになったの?

 

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フリクションボール誕生のきっかけ:中筋憲一がフリクションボールを発明するまで④

 

管理人
管理人
フリクションボール誕生のきっかけはヨーロッパから来ました。

 

当時、パイロットのヨーロッパ支部社長をしていた人物の発した一言が、メタモカラーの運命を変えたのです。

「『ある色から別の色へ』ではなく、『ある色から透明に』することはできないか?」

出典:ダ・ヴィンチニュース

 

ヨーロッパでは、ボールペンを筆記具として学校教育で使用しており、ボールペンの字を簡単に消す方法に大きな需要があったのです。

この言葉をきっかけに、ヨーロッパで先に売り出したところ、飛ぶように売れました。

こうして、中筋憲一さんが発明した「メタもライト」は、発明後30年経って、ようやく筆記具として日の目を見ることが出来たのです

 

管理人
管理人
日本ではいつ販売が開始されたの?
シアターくん
シアターくん
日本は、ヨーロッパの1年後に開始されました。
ヨーロッパであまりに売れているから、売り出したら1日で77万円を売り切るメガヒットになりました。
管理人
管理人
筆記具って1本200円くらいだよね?やばいね!!
シアターくん
シアターくん
人間の予想ほど当てにならないものはない、ということが改めて証明されましたネ。

 

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フリクションボールは訴訟が起きていた?

 

管理人
管理人
フリクションボールについて何だけど、特許訴訟が起きていたって本当?
シアターくん
シアターくん
本当です。
パイロットと三菱鉛筆の間で、2011年から2018年まで争われていました。
管理人
管理人
どういうこと?中筋憲一さんが特許を侵害したの?
シアターくん
シアターくん
調べてみましたが、そうではないようです。

 

パイロットと三菱鉛筆は、消せるボールペンを巡って、2回にわたり特許侵害の訴訟が起きています。

販売開始は、パイロットの方が早く、パイロットが後発の三菱鉛筆の商品を訴えることで、訴訟が起きています。

ちなみに、2件とも和解が成立しています。

 

 

管理人
管理人
どうしてこんな訴訟が起きたの?
シアターくん
シアターくん
消せるボールペンは、文房具業界にとって、空前絶後の大ヒットだったので、パイロットとしては、独占を図ろうとしたが、三菱鉛筆は、自分たちも旨味にあずかろうとしたため、訴訟が起きたようです。
管理人
管理人
なるほど。

 

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中筋憲一とフリクションボールのまとめ

 

9月30日の「逆転人生」で放送される中筋憲一さんについて調べてみました。

今回のまとめ

1:中筋憲一は、開発テーマが無くなったため、メタモカラーを開発した。
2:開発したはいいが、使い道がなく、用途が筆記具以外だった。
3:ヨーロッパからの需要で、フリクションボールが生まれた。
4:”消えるボールペン”について、パイロットと三菱で訴訟が起こった

 

管理人
管理人
今回の話を聞いて、スティーブジョブズの『多くの場合、人は形にして見せて貰うまで自分は何が欲しいのかわからないものだ』という言葉を思い出したよ。
シアターくん
シアターくん
イノベーションとは、常識だと信じられているものを打ち破ることで出来るのかもしれませんね。